相撲観戦まとめ

隆の里(稀勢の里師匠)の結婚した妻や子供は?おしん横綱で話題!

こんにちは!ricoママです。
横綱稀勢の里の引退報道が
連日メディアを賑わせていますが
 
稀勢の里を育てた 先代の鳴戸親方
話題が集まっています。
 
先代の親方は
稽古が厳しいことで有名で
 
稀勢の里の弟弟子の高安は
先代の親方の稽古の厳しさに
7回も部屋を脱走した過去があります。
 
 
今回は、先代の親方である
元横綱 隆の里について
情報をまとめてみました。
 
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隆の里の結婚した妻は?

先代の鳴戸親方である

元横綱隆の里は

若くして糖尿病を患い

 

糖尿病に苦しみながら

土俵を務めた苦労人。

 

そんな隆の里を支えた奥様、

当時の鳴戸部屋のおかみさんですが

高谷典子さんになります。

 

先代鳴戸親方の夫人である

典子夫人ですが

親方が2011年に急逝してしまい

 

鳴戸部屋の後継者問題で

いざこざがあったとのこと。

 

 

親方が急逝したことで

鳴戸親方の後継者として

元隆の鶴(現田子ノ浦親方)

が継承しましたが

 

年寄株の証明となる年寄名跡証書

典子夫人が持っていたため

 

元隆の鶴は「借株」という形で

鳴戸親方となりました。

 

その後、2016年に

日本相撲協会が公益財団法人に

移行することに伴い、

 

年寄名跡を一括管理することになり

各親方に名跡証書の提出を求めました。

 

しかし、典子夫人と元隆の鶴との間で

名跡証書の折り合いがつかず

元隆の鶴は証書を提出することが

できませんでした・・・

 

そこで、苦肉の策として

元隆の鶴は、田子ノ浦の名跡を取得し

田子ノ浦親方を襲名。

 

相撲部屋も、鳴戸部屋から

田子ノ浦部屋に変更することになり

現在に至ります。

 

結局、典子夫人が持っていた名跡証書も

その後、協会の方に渡り

現在は、元琴欧洲の現鳴戸親方が

名跡を継承しています。

 

 

稀勢の里は、横綱昇進の時や

引退会見の時にも

先代の親方への感謝を述べていますが

 

先代の親方は天国から

弟子の昇進を喜ぶ一方、

鳴戸の名跡を残せなかったことは

残念に思っているのではないでしょうか・・・

 

隆の里の子供は?

元隆の里の先代鳴戸親方に

子供がいたのかも気になったのですが

 

情報を調べていく中で

先代鳴戸親方の妻子が

遺品裁判を起こす


というショッキングなニュースが出てきました。

 

鳴戸親方の遺品の引き渡しを求めて

典子夫人とお子さんが

親方のお母さん宛に裁判を起こしたとのこと。

 

そのニュース記事に

「妻子」という表現があるので

お子さんがいらっしゃることは

分かったのですが

 

お子さんの詳細については

現時点では確認できませんでした・・・

 

隆の里のお子さん情報については

詳細が分かり次第、追記いたします!

 

 

相撲界での師匠と弟子は

親子の関係以上の

深い繋がりがあると

私自身が感じているんですが

 

稀勢の里の引退会見を通して

その思いが一層強くなりました。

 

稀勢の里は横綱として

短命に終わってしまったのですが

 

もし、先代の親方がご存命だったなら・・・

と、私も悔しい気持ちになりました。

 

稽古が厳しい親方ではありましたが

大怪我を追った稀勢の里に対して

師匠として何らかの助言やアドバイスがあれば

 

稀勢の里ももう少し長く

横綱の地位に留まれたのではと

私も思いました・・・

 

先代の親方への感謝を述べる

稀勢の里の姿を見ていて

ほんと涙が止まりませんでしたね・・・(>_<)

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おしん横綱の意味とは?

元隆の里について調べていると

おしん横綱

との表現が出てくるのですが

 

若い世代の方だと

おしんって何だ?

と、不思議に思いますよね〜

 

「おしん」とは、

1983年4月4日から

1984年3月31日まで放送されていた

NHKの朝ドラの作品名。

 

主人公のおしんが

幼少期から苦労しながらも

たくましく生きていく姿に

その当時、私の母親も

毎朝おしんを見ながら

泣いていました(^_^;)

 

 

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そのおしんが放送されていた当時、

隆の里が糖尿病を患いながらも

30歳で横綱に昇進したことで

 

NHKで放送されていたおしんのように

苦労した姿をなぞらえて

「おしん横綱」とあだ名がつきました。

 

同じ年に放送された

大河ドラマ『徳川家康』も含め

辛抱三人組「おしん、家康、隆の里

という流行語も生まれたほど

 

隆の里の横綱昇進は

その当時は大きな話題になりました。

 

隆の里は、横綱在位は 15場所(約2年半)

稀勢の里と同じく短命に終わりましたが

 

優勝4回のうち

2回は全勝優勝を果たしました。

 

また、その当時、ライバル不在と言われた

大横綱 千代の富士に対抗した

唯一の横綱としても

相撲ファンを喜ばせる存在でした。

 

隆の里が引退した時は

千代の富士の師匠だった

元北の富士の九重親方も

 

「千代の富士が今日あるのは、

ライバルとしてここまでした、

という隆の里の功績も大きい」

と、コメントを出されました。

 

北の富士さんは、相撲中継で

辛口コメントも人気なんですが

 

北の富士さんからこのような

賛辞を受けるなんて

隆の里の偉大さが伝わってきますね!

 

 

今後、稀勢の里は

荒磯親方」として

後進の指導に当たりますが

 

先代の師匠と同じように

大関、横綱を育てる名親方として

第二の人生を歩んで欲しいですね!

 

 

稀勢の里の師匠である

元隆の里の先代鳴戸親方について

まとめてきましたが

 

稀勢の里の引退フィーバーに併せて

先代親方にも今しばらくは

注目が集まりそうですね☆

 

最後までお読みいただき

ありがとうございましたm(_ _)m

 

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