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川原俊夫(ふくや創業者)の結婚した妻や子供は?学歴や年収も調査!

こんにちは!ricoママです。
 
以前、転勤で広島に住んでいた時ですが
広島から福岡まで、
新幹線で1時間で行けるので
よく遊びに行っていました。
 
その時に、主人へのお土産として
福岡駅の構内で
ふくや」の明太子を買って帰ることが
多かったのですが
 
辛いものが苦手な私も
ふくやの明太子は好きで
主人が仕事でいない時に
こっそり食べて食べていました笑
 
 
福岡と言えば「明太子」というぐらい
イメージが根強く残っているのですが
 
5月31日の『奇跡体験アンビリバボー
では、ふくやの創業者である
川原俊夫さんが特集されます。
 
番組では、川原さんがどのようにして
明太子を博多名物へとのし上げたのか
そのルーツを辿る模様。
 
そんな川原俊夫さんについて
情報とまとめてみました。
 
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川原俊夫の結婚した妻や子供は?

川原俊夫さんは

1913年(大正2年)に、

韓国の釜山市で生まれました。


 

川原家は元々、現在の福岡県筑前町の出身で

明治後期から、釜山に渡って

海運業を営むかたわら、

現地の日本人向けに

海産物を販売していました。

 

川原俊夫の妻はどんな人?


川原俊夫さんの奥様は

旧姓・ 田中千鶴子さん。

 

千鶴子さんもご両親と共に

釜山に渡っており

1936年(昭和11年)に

お二人は結婚されました。


 

結婚当時は、第二次世界大戦直前。

俊夫さんも、1944年に陸軍に召集され

宮古島で終戦を迎えたとのこ。

 

戦後は、福岡に落ち着き

ご夫婦で「ふくや」を営まれます。

 

 

ふくやの明太子ですが

元々は自宅で食べる為に作ったのが

発端だったとのこと。

 

釜山で食べた明太子を思い出しながら

明太子を作り始め、

同じ市場で働く人たちにおすそ分けしたところ

「美味しい!」と評判だったそうです。

 

「それだったら、お店でも販売しよう」と

店売りを始めましたが

当初は全く売れず、試行錯誤の日々が続きました。

 

明太子を販売してから、10年が過ぎた頃に

東京や大阪の出張者たちが

お土産に買い始めたところから

明太子の人気がうなぎのぼりになったとのこと!

 

川原ご夫妻の並々ならぬ情熱で

今や、福岡のお土産の定番となった明太子。

 

奥様の千鶴子さんの献身的な支えがなかったら

明太子は誕生していなかったかもしれませんね。

 

ちなみに、千鶴子さんですが

100メートル走で朝鮮全土の

女子最速記録を樹立したという

実力の持ち主!

 

アムステルダムオリンピックメダリストの

人見絹枝さんより、日本体育大学への推薦を

打診された事もあったそうです。

 

千鶴子さんがもし日本にいらっしゃったなら

オリンピックに出場していたかも

しれませんね!

 

川原俊夫の子供は?


川原俊夫さんと千鶴子さんの間には

ふくやの現在の社長である

息子の 正孝さんがいらっしゃいます。

 

正孝さんの他に、お子さんがいるのかは

現時点では詳細は不明なんですが

 

正孝さんも、明太子が全く売れなかった

不遇の時代を、ご両親の背中を見ながら

経験されたと思いますので

 

ふくやの明太子の味を後世に残すべく

今後も社長として奮闘いただきたいと思います。

 



 

川原俊夫の学歴は?

戦時中は釜山に住まれていた

川原俊夫さんですが

釜山公立中学校を卒業した後、

満州の電力会社「南満州電気株式会社」に

入社されました。

 

その当時の義務教育は

小学校までだったので

いわゆる、中学校まで進学する人が

「エリート」と言われていました。

 

中学を卒業した、一部のエリートは

そのまま高校や大学まで

進学をしたのですが

 

中学卒業後に就職をする人が

大半だったようです。


 

もし、戦争がなかったならば

川原さんはそのまま電気会社に勤務して

ふくやの明太子は

誕生していなかったかもしれません。

 

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川原俊夫の年収はいくら?

川原俊夫さんは、晩年には

高額納税者番付に掲載されるほどの

財を成していたとのこと!

 

しかし、自身の蓄財にはあまり関心がなく、

寄付を好んだというエピソードが残っています。

 

高額納税者番付に載っていたぐらいの

財を築いていたなんて

当時の年収がどのくらいあったのかも

気になるところですよね〜

 

 

川原さんご自身の申告所得について

調べて見ましたが、具体的な情報は得られず・・・

 

参考までに、川原さんが

高額納税者になっていたであろう

1970年代の申告所得日本一を調べてみると

 

・1975年 長谷川萬治(材木会社社長)・・・37.6億円

・1976年 上原正吉(正製薬社長)・・・16.9億円

・1977年 上原正吉(大正製薬社長)・・・21.2億円

・1978年 不動産業(不動産業)・・・22.7億円

・1979年 上原正吉(大正製薬社長)・・・16.9億円

・1980年 大川堅一郎(会社役員)・・・34.0億円

 

と、20〜30億ほどの申告所得額が

出ていたのですが

 

その当時の大卒初任給が

5万円だったので

 

今の価値に換算すると

納税日本一の方は、

およそ100億ぐらいの申告所得になります。

 

 

当時の時代背景の記述が

長くなってしまったのですが

 

様々な情報を参考にすると

川原俊夫さんの年収も

20〜50億ぐらいではないかと

予想してみました。

 

ほんと、どのくらいお金持ちなのか

もはや想像も尽きませんが(^_^;)

 

しかし、川原さんは、ご自身の財産を

寄付されていたとのことなので

お金以上に、大切なものを

たくさんお持ちだったのかな〜なんて

想像してします(*^^*)

 

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ふくやの創業者である

川原俊夫さんについて

まとめてきましたが

 

番組で、川原さんの明太子に対する

熱いお話を聞いたら

無性に明太子が食べたくなりそうですね(^_^;)

 

今日は、夢にまで明太子が出てきそうな

ricoママでした☆

 

最後までお読みいただき

ありがとうございましたm(_ _)m

 

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