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片男波親方の結婚した夫人は誰?出身地や現役時代の成績について!

こんにちは!ricoママです。

平成最後の1月場所」で

見事優勝を果たしたのは

関脇の 玉鷲

 

場所前は、優勝予想力士の中に

名前が上がってきていませんでしたが

 

ほんと、誰が優勝しても

おかしくないことを

玉鷲が証明してくれましたね!

 

そして、優勝した玉鷲と共に

注目が集まっているのが

片男波(かたおなみ)親方。

 

玉鷲が優勝インタビューで

親方とおかみさんに

感謝を述べたい



と語っていたのが心に残りましたが

 

そんな玉鷲の師匠の

片男波親方について

情報をまとめてみました。

 

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片男波親方の結婚した夫人は誰?


片男波部屋での玉鷲の優勝祝賀会の写真に

片男波親方の夫人であるおかみさんも写っていました!

 


 

片男波親方の奥様については

現時点では詳細な情報がなかったのですが

 

ツイッターを見ていると

おかみさんは大阪にある

「樟蔭学園」の出身者であることが判明!

 

樟蔭学園は、中・高・大と

一貫して女子教育が学べる教育機関。

 

私自身、大阪出身なので

樟蔭学園と聞くと

「お嬢様学校」のイメージが強いです(^_^;)

 

最近では、昔ほど「お嬢様」のイメージは

和らいだようですが

樟蔭学園出身というと

育ちが良いように感じますね。

 

 

相撲部屋のおかみさんというと

力士たちのケアや相撲部屋の雑務など

いわば「影の功労者」です。

 

相撲部屋は、おかみさんが切り盛りしないと

ある意味回らなくなるので

今のおかみさんには

樟蔭学園で女子教育を学んだ

土台があるんでしょうね!

 

片男波親方の出身地は?


片男波親方の出身地ですが

愛媛県西予市になります。

 

西予市というと

平成30年に豪雨災害があった場所。

 

親方は、西予市の被災地にも足を運ばれるなど

地元にも尽力を尽くしてきました。

 

今回の玉鷲の優勝も

西予市のファンも喜んでいて

地元の愛媛新聞でも大々的に

報道されています。

 

玉鷲も、優勝インタビューの中で

被災地の皆さんに喜んでいただけるような

相撲を取っていきたい


と、被災地への思いを語っていました。

 

 

私も、主人の転勤の関係で

愛媛県松山市に3年ほど住んでいたのですが

 

愛媛は温暖な気候で

ゆったりとした時間が流れていて

人々も本当に暖かい方ばかりでした!

 

豪雨災害があったりと、

県民、市民の皆さんも

相当なご苦労があったと思いますが

 

今回の玉鷲の優勝は

被災地の皆さんも本当に喜ばれていますよね(*^^*)

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片男波親方の現役時代の成績も!


<片男波親方の現役時代の成績>

現役時代のしこ名:玉春日
番付最高位:関脇
幕内通算成績:444勝537敗24休
優勝・殊勲賞・敢闘賞・技能賞受賞回数:


 

【片男波親方の略歴】

片男波親方は、農家の6人兄姉の3男。

小学3年の時に

故郷の野村町で行われている「乙亥大相撲」に出場。

 

小学4年の時には「わんぱく相撲」の予選会に出場し

四国大会まで進んでいます。

 

中学時代も、相撲での実績を積み上げ

全国大会団体戦ベスト16

個人戦8位入賞

の成績をあげています。

 

高校時代も、インターハイでは

1年生からベスト16

2年生の時には、

東西対抗で 軽量級全国2位

という成績を残しています。

 

大学は中央大学に進学し

中央大学に34年ぶりとなる

学生相撲団体戦日本一に貢献。

 

1994年1月場所で

幕下付出で初土俵を踏み、

初土俵から「 玉春日」のしこ名で

土俵に上がっています。

 

・1995年3月場所・・・十両に昇進

・1996年1月場所・・・幕内に昇進

※初土俵から入幕まで13場所負け越し知らず

 

新入幕の場所では 10勝を挙げ

初の敢闘賞を受賞。

1997年5月場所では、 横綱・貴乃花を破る初金星

を挙げて、8勝7敗と勝ち越し

殊勲賞を受賞。

翌7月場所には関脇への昇進を果たしました。

 

全盛期には幕内上位の地位で

7個の金星を挙げるなど

上位キラーとして活躍。

 

しかし、2003年1月場所に

右膝の半月板を痛めて休場し、幕内から陥落。

怪我にも悩まされ、幕内中下位や十両で

土俵を務めることが多くなりました。

 

その後、2006年7月場所では

11勝4敗の好成績で

技能賞を受賞。

2007年1月場所では初日から7連勝でしたが、

中日から6連敗を喫し、結局9勝6敗に終わりました。

 

1月場所以降も不調が続き

首の痛みもあって、幕内の中下位を

行き来してましたが

十両に下がった

2008年9月場所の千秋楽に

引退を表明
し、年寄・楯山を襲名。

 

2010年に、師匠である

先代の親方の元玉ノ富士と

名跡交換し、片男波(14代目)を襲名。

襲名と共に片男波部屋を継承しました。

 

 

玉春日というと、幕内の常連のイメージがあり

土俵を沸かせてくれた力士の一人。

 

師匠も成し遂げなかった幕内優勝を

弟子の玉鷲が成し遂げたことは

師匠にとってもこの上ない喜びですね!

 

今は、玉鷲を含め

3人の力士しかいない片男波部屋ですが

玉鷲の優勝によって

新たな弟子が増えることを願っています!

 

 

片男波親方についてまとめてきましたが

玉鷲も今回の優勝を機に

 

できるところまでやる。

40歳を超えてもやりたい


 

と、さらに上を目指す

頼もしい発言が飛び出しました。

 

初土俵から一度も休場したことがない

「鉄人」の玉鷲が

片男波親方と共に、どこまで飛躍出来るか

来場所以降も楽しみですね!(*^^*)

 

最後までお読みいただき

ありがとうございましたm(_ _)m

 

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