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矢野博丈(ダイソー社長)の年収や経歴は?結婚した妻や子供について!

こんにちは!ricoママです。
広島から埼玉に引っ越してきて
ひと月ほどが経ちました。
 
独身時代は東京に住んでいたので
首都圏の大まかな位置関係などは
分かるのですが
埼玉はほとんど足を踏み入れたことがなく
引っ越してから息子を連れて
イオンモールなどに足を運びました。
 
また、引っ越し先の環境を整える上で
様々な小物をまとめるのに欠かせないのが
100円ショップ。
 
100円ショップというと
大手だけでも
・ダイソー
・セリア
・キャンドゥ
などがあり
それぞれの店舗にしかない
独自の商品も見ものですよね。
 
私も「ここの店舗のグッズが欲しい!」といった
物欲が強いので(笑)
埼玉の100円ショップをはしごしながら
引っ越し先の環境を整えました。
 
6月11日放送の『がっちりマンデー』に
100円ショップのダイソーの社長である
矢野博丈さんが出演します。
 
ウィキペディアによると
矢野社長は経済団体に所属しておらず
経済誌などの取材も
ほとんど受けないとのこと。
 
今回、がっちりマンデーに出演することは
異例のことのようなので
矢野社長の口から何が語られるのか
注目が集まっています。
 
そんな矢野社長について
情報をまとめてみました。

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矢野博丈の年収はいくら?

矢野博丈さんはダイソーの社長ということで

まず「年収はいくらぐらいなんだろう」と

懐具合が気になりました。

 

ダイソーの売上高ですが

2015年度の情報によると

3882億円という

大手の100円ショップの中でも

ダントツの売上高です。

 

そんなダイソーの社長である

矢野博丈さんも

かなりの億万長者ぶりが伺えますね。

 

矢野社長の年収ですが

社長の年収ランキングなるものによると

2012年の時点で1億円だったとのこと。

 

そこから想定すると

現在は1億5000円〜2億近い年収に

なっているのではと予想しています。

 

ダイソーの商品で愛用しているものは

数多くあるのですが

 

その中でも「エッグタイマー」は

ゆで卵を作るのに欠かせません。

 

エッグタイマーを購入してからは

ゆで卵を作る頻度が増えましたね(笑)

 

あと、足のむくみに欠かせないのが

「樹木シート」です。

 

私は、20年ほど前に

ご近所さんから樹木シートの存在を教えてもらい

その頃からの愛用者です。

 

その頃の樹木シートは

2枚で500円ほどの高値でしたが

初めて使った時に

足のむくみが取れて

スッキリしたのに驚きました。

 

また、その頃の樹木シートは

ダイソーで出ているものよりも

使用後のベタつき感や匂いもあったので

「疲れた時の最終兵器」として

使っていました。

 

そんな樹木シートが100円ショップで

購入できるようになったので

かなり助かっています。

 

2枚入りで100円で購入できるので

ダイソーに行った時に

買いだめしています(笑)

 

話が本題から逸れてしまいましたが(^_^;)

私が必要として買いだめしている樹木シートが

矢野社長の懐に繋がっているのかと思うと

何だか不思議な気分ですね(笑)

 

今では100円ショップなくては

生活が成り立たないぐらいですね。

 

矢野博丈の経歴は?


本名:矢野博丈

生年月日:1943年4月19日

年齢:74歳(2017年6月現在)

出身地:広島県東広島市

出身大学:中央大学理工学部二部土木工学科卒業

 

以前、広島に住んでいたので

広島出身の矢野社長に

勝手に親近感を抱いています(^_^;)

 

矢野社長のお父様は

医者として高額所得者の常連だったそうです。

 

かなりの名家だったようで

小さい頃はさぞかし

裕福な生活をされていたことでしょうね。

 

矢野社長の兄弟たちは

医療の道に進まれたそうですが

矢野社長だけは

中央大学の2部に進学されました。

 

現在の奥様と学生結婚をされて

奥様のご実家の

ハマチ養殖業を継ぎましたが

3年で倒産となり

その後、夜逃げも経験したとのこと。

 

職を転々とする中

いわゆる「バッタ屋」という形で

移動販売を開始したとのこと。

 

バッタ屋という言葉は

馴染みのない方も少ないと思いますが

 

倒産した企業や資金繰りが苦しくなった企業の

在庫品を格安価格で買い取り、安値で売る商売


のことで、矢野社長と同年代の私の父親も

「これはバッタ屋で買ってきた」と言って

よくバッタ屋という名前を出していました。

 

私の中ではバッタ屋というと

今でいうディスカウントショップのイメージで

父親から「バッタ屋に行こう」と言われて

安売りしている店舗に通っていました。

 

矢野社長はその移動販売業から

均一価格での商売に弟子入り。

 

そこから暖簾分けといった形で

1977年に「大創産業」として

法人化したとのこと。

 

私が小学生の頃の100円ショップというと

・すぐ壊れるなど、品が悪くて当たり前

・商品の陳列が汚くて当たり前

といった感じで

今のような清潔感のある店舗は皆無でした。

 

購入してすぐにダメになっても

「100円だし仕方ないか〜」と

思う商品も数多くありました。

 

消費者も「値段が安いものでいいや」

と言った感覚で

100円ショップを利用していたように思います。

 

ですが、今のダイソーなどの商品は

「100均のあの商品が欲しい!」といった

いわゆるブランド思考のようになったので

その魁を作ったダイソーの功労に

深く感謝したいところです(*^^*)

 

【関連商品はこちら】

今やメディアにも引っ張りだこの

矢野博丈社長ですが

 

百円の男」というタイトルで

本を出版されています。

 

世の中に「百円均一」という言葉を生み出した

矢野社長の功績は

現代のビジネスにも

大きな影響を与えています。

 

「百円の男」を読みたい方はこちらから!

百円の男 ダイソー矢野博丈

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矢野博丈の結婚した妻や子供は?

矢野博丈さんの奥様やお子さんなど

ご家族についても気になったので

調べてみると

奥様自身の詳細については

情報はありませんでした。

 

先ほども記載しましたが

矢野社長は会社倒産、夜逃げも経験されており

奥様の支えがなければ

今のダイソーはなかったのかもしれません。

 

また、お子さんについても

詳細は分からなかったのですが

会社が倒産した頃に

息子が生まれたとのこと。

 

幼な子を抱えながら

夜逃げを経験されたとのことですが

心身ともにかなり辛い状態であったことが伺えます・・・

 

ですが、愛する家族の為に

職を転々とする中で

現在のダイソーを築き上げたので

奥様もお子さんもお父さんの活躍を

喜ばれているのではないかと思います。

 



ダイソーの社長である矢野博丈さんについて

まとめてきましたが

「がっちりマンデー」では

「どうやって儲けているか」に

スポットが当たると思われるので

矢野社長のインタビューを

心待ちにしたいと思います。

 

最後までお読み頂き

ありがとうございましたm(_ _)m

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